おもに金沢在住時
明治27年~明治42年/1894-1909
「金沢にいた十年間は私の心身共に壮な、人生の最もよき時であった。」
(該当資料:四高での講義のための講義ノートや思索ノートなど)
明治27年(1894)24歳 | 帝国大学文科大学哲学科選科を修了。金沢に戻る。 |
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明治28年(1895)25歳 | 石川県尋常中学校七尾分校の分校主任となる。 最初の論文「グリーン氏倫理学哲学の大意」を発表。 |
明治29年(1896)26歳 | 第四高等学校講師嘱託に就任。 |
明治30年(1897)27歳 | 四高学内の混乱と改革の余波を受け、突然職を解かれる。 山口高等学校へ赴任。 |
明治32年(1899)29歳 | 第四高等学校教授に就任。 論理、ドイツ語を担当。のちに倫理、心理、英語も加わる。 |
明治39年(1906)36歳 | この年度の講義「倫理」(前半)の草稿が「実在論」という表題のもとに印刷される。 |
明治40年(1907)37歳 | 次女・幽子が死去。 論文「実在論」を推敲し「実在に就いて」として発表、話題となる(のちに更なる推敲を経て『善の研究』第二編に収録)。 この年度の講義「倫理」(後半)の草稿が「倫理学」という表題のもとに印刷される。 暁烏敏の寄稿依頼を受けて論文「知と愛」を執筆(のちに『善の研究』第四編「宗教」の第五章に収録)。 |
明治41年(1908)38歳 | 論文「倫理学説」を発表(のちに改稿され『善の研究』第三編「善」に収録)。 |
明治42年(1909)39歳 | 論文「純粋経験と思惟、意思、及び知的直観」を発表(のちに『善の研究』第一編「純粋経験」として収録) 金沢を離れ、上京。学習院教授に就任。 |