京都帝国大学在任時

明治43年~昭和3年/1910-1928

「赤きもの赤しと云はであげつらひ五十路あまりの年をへにけり」
(該当資料:京大での講義のための講義ノートやメモなど)

明治43年(1910)40歳 学習院を離任、京都帝国大学文科大学の助教授(倫理)に就任。
哲学概論、倫理学(特殊講義)、倫理学講読の講義を担当。
明治44年(1911)41歳 初の著書『善の研究』を弘道館から刊行。
この年度から宗教学演習の講義も担当。
明治45/大正元年(1912)42歳 『善の研究』が哲学研究者界隈で話題となる。
大正2年(1913)43歳 京都帝国大学教授(宗教学)に就任。
この年度から心理学の講義も担当。
論文「自覚に於ける直観と反省」の連載開始。
大正3年(1914)44歳 『思索と体験』を刊行。
大正6年(1917)47歳 『現代における理想主義の哲学』『自覚に於ける直観と反省』を刊行。
大正8年(1919)49歳 妻・寿美が脳溢血で倒れて寝たきりとなる。
大正9年(1920)50歳 『意識の問題』を刊行。
長男・謙が急死。
大正12年(1923)53歳 『芸術と道徳』を刊行。
大正14年(1925)55歳 妻・寿美が死去。
昭和2年(1927)57歳 『働くものから見るものへ』を刊行。
昭和3年(1928)58歳 京都帝国大学を退官。